8月21日 藤井右門祭

ブレない!逃げない!ごまかさない!
本気でやれば射水は変わる。
中村ふみたかです。


 生憎の雨のため 日澄寺での開催。同時に開かれるお茶会に正客として出席した。毎年8月21日に右門祭が顕彰会の主催で開かれているが 今年は公園整備が完成したこともあり その披露も兼ねていたのだが雨ということで。念のため 藤井右門公園は小杉社会福祉会館裏にある。


 ちなみに、藤井右門宅跡は私の母校 同志社大学の北にある。藤井右門宅跡:リンク先の写真をクリックすると京都市の解説文が読めます(京都市上京区烏丸上立売通り)
 右門は享保5年(1720年)小杉町に生まれた。
 父 又左衛門は 播州赤穂の浪士で 浅野内匠頭の江戸詰家老であった。母は手崎の赤井氏の娘である。
 享保20年、16歳の時京都に上り、竹内式部の門に入り、学問、武術を修行し、後に藤井忠義の養子となり直明と言い、従五位大和守になった。
 竹内式部と共に公家の間を往来して王政復古を計画し、桃園天皇の耳にも達したが宝暦8年(1758年)事が発覚して有名な宝暦の大獄となった。
 右門は密かに京都をのがれ、政之助と変名して小杉に隠れていたが、売薬商人に扮して京都に上り、更に九州に渡って鍋島藩、龍造寺藩等の勤王の志士と手を結び、明和元年には江戸に出て王政復古を計ったが明和の大獄で捕えられ、極刑に処せられた。この時、右門48歳であった。
 富山の僧が幕府に願って 遺骨を浅草の妙高寺に葬った。明治24年、正四位を贈られた。
 昭和11年、右門顕彰会(片口安太郎会長)が中心となり、170年祭に当たり、分骨を受け墓碑を建立、現在に至る。
by fumitakashien2005 | 2009-08-21 21:50 | 日記