プロフィール(編集:中村ふみたか後援会)

中村ふみたか(文隆)
  
 昭和39年1月1日生まれ 53歳 やぎ座 AB型

家族:娘(大学生)・息子(大学生)・父・母

 資格:調理師 

 経歴
 小杉町立小杉小学校
 富山大学教育学部附属中学校(バスケット部)
 富山県立富山中部高等学校(コーラス部・神通会学年幹事)
 同志社大学法学部法律学科(同志社学生混声合唱団CCD第41代幹事長)
 大和学園京都調理師専門学校夜間部                  
 各卒業
 
 役職
・射水市議会議員 副議長
・射水市商工会 理事
・射水圏政経懇話会 監事
・小杉中学校学校評議員
・射水ロータリークラブ会長エレクト

(元職)
・射水ロータリークラブ2011-2012 幹事
・射水市PTA連絡協議会 第4代会長
・小杉高等学校学校評議員
・富山高等学校むつみ会(PTA)監事
・(社)射水青年会議所第7代理事長
・(社)日本青年会議所富山ブロック協議会第35代会長


 (その他の経歴は後記)

生い立ち: 富山県射水郡小杉町(現:射水市)に生まれた。
  自営の中村楼は創業1824年(文政7年)、富山県内の宿泊を伴わない料亭としては最も古く、
 また店が旧北陸道に面していることもあり 江戸時代から多くの政財界の要人、文化人などが利用してきた。
本人は8代目である。 
地元の小杉小学校を卒業後、富山大学教育学部附属中学校、県立富山中部高校へ進学。
某国立大学受験失敗後の浪人時代に予備校講師から「学者で一流になるには天才であると同時に、1日15時間は机に向かって勉強できなければならない、それも一種の才能だ」と言われ、「自分には学者になるほどの頭も才能もない」と自覚する。
同志社大学法学部法律学科に入学後、司法試験の勉強をするも87年のブラックマンデーを経験し「7代続いた家業を継ぐのはやはり自分しかいない」と在学中に調理師専門学校(夜学:京都大和学園)に通い始め 大学卒業後、調理師免許を取得。京都なかむら・金沢鍔甚(曾祖父もこの店で修行)・氷見永芳閣(新館)で修業後、94年30歳で中村楼の8代目として家に入った。

まちづくり:94年、家業を継ぐとともに(旧)射水青年会議所のチャーターメンバーとして創立に関わり、青年会議所運動を通して、ふる里射水のまちづくりを始める。
 (旧)射水青年会議所は創立以来、射水地域の合併を目指しており、99年射水市構想を発表。中村本人は、JC(青年会議所)以外でも射水広域圏(牧野含む)の青年で組織するI-CITY構想策定会議議長、射水地区広域圏合併協議会委員、射水市を実現する会顧問等を務め、射水市実現に向けて市町村合併運動に深く関わる。尚、JCでは01年に射水JC理事長、04年に(社)日本青年会議所富山ブロック協議会会長(JCの富山県会長)を務めている。
 この1市3町1村の合併については 旧小杉町で塩谷治氏と中村が中心となって法定合併協議会設置のための署名運動を行うが、それらも含め、町を二分して大きな議論となり、合併協議会に参加、不参加をめぐり住民投票(03.2.16)が行われた。その投票に先立ち、小杉町が主催して公開討論会(小杉町住民投票フォーラム:03.2.14)が行われたが、そこで賛成代表の一人として行なった中村の訴えかける演説が 投票直前の人々の心を動かし、実質的に小杉町の合併協議会参加を決めるきっかけとなった。
 また、合併協議会発足後は合併協議会委員として、迷走しがちな合併協議会を度々軌道修正した。途中、小杉町の協議会離脱によって合併協議が休止したが、射水市を実現する会や5市町村合併を求める小杉町民の会の立ち上げに尽力、ビラやホームページなど賛成側の政策立案を担当する。その後の住民運動の盛り上がりから、小杉町長のリコール運動が現実味を帯びるが、中村は「リコールは修復できない大きな溝を住民の間につくってしまう、小杉は二度と立ち直れなくなるだろう。それだけは避けなければならない」と5市町村の首長や議員、住民と折衝を行い、04年7月31日最悪の事態を回避する。
 その後、2004年8月29日に行われた小杉町の5市町村での合併の是非を問う2回目となる住民投票の結果、賛成多数となったため、合併協議は再開され、2005年11月1日に「射水市」が誕生した。尚、中村は再開された合併協議会に小杉町から委員として再任されていない。小杉町の委員(学識経験者3人)だけは総入れ替えとなった。

政界入り:射水市誕生による市長選について、当時3人の現職首長の立候補が取りざたされる中、新しい市長候補として度々名前が挙がるが 中村は「新市・射水市は問題山積であり、それらを解決して軌道に乗るのに10年は掛かる。また、その市政運営には極めて優れた行政手腕を持った即戦力が求められる。私は射水市が素晴らしいまちとして光輝けるよう、側面から支援したい」と固辞。その旨を3首長に伝える。しかし、新市を誕生させるだけさせて、知らぬ存ぜぬという訳にはいかないと、射水市誕生の責任を取った形で射水市議会議員選挙に立候補し、小杉選挙区では最年少で初当選を飾る。市議会議員として「自分たちのまちは自分たちでつくる」という射水市実現のため 数々の政策提案・議会改革を行うも、09年改選の射水市全域が選挙区になった市議会議員選挙にて 当初より当選確実視されながら次点で涙を飲む。その後4年間の充電期間を経て、H25年11月17日投開票の射水市議会議員選挙において復活当選を果たし、現在に至る。
人物像・逸話:
  身長168cm、体重54kg、血液型AB

  趣味:昔は合唱(コーラス)、現在は 下手なゴルフ

  バツ一のため、両親と協力して子供2人を育てている。そのためPTAに積極的に参加し、小杉小学校校外委員長時、自治会、民生委員などの協力を仰ぎ、校下に「こども110番の家」を300ヵ所新設し、子どもたちの安全安心に努力した。そのことがきっかけとなり、次の年、子ども見守り隊「杉っ子愛レンジャー」が誕生することになる。
 また、PTA活動は小学校の活動もあって、小杉中学校でも行うこととなり、その結果 H21年度、射水市PTA連絡協議会会長を務めることとなった。

  旧小杉町時代、99年の土井由三町長が誕生した選挙に際して、青年会議所の有志と公開討論会を企画するが、当時はまだまだ理解が得られず、大きな反対にあい企画は中止に追い込まれた。尚、直前の新湊市長選挙も附属中学時の同級生である江守淳一ら(旧)新湊青年会議所有志によって公開討論会が行われ、これは成功に終わっている。その公開討論会で評判がよく当選したのが 分家静男氏(前射水市長)であり、その討論会のコーディネーターが当時、北日本新聞論説委員の土井由三氏(旧小杉町長)であった。

  合併運動時、「お前の店など潰してやる」などと有力者に面と向かって言われたり、店の予約が突然次々にキャンセルされたり、匿名の嫌がらせ電話を受けるなどした。 また、町長選公開討論会企画時には 突然、見ず知らずの男が店の中にズカズカと上がり込むなど 明らかな嫌がらせを受けている。
 しかしながら 元来の正義感の強さからか、益々闘志を燃やし、それをあえて表に出さず 平然と運動を展開するというタイプ。それが祟って、クールとか取っ付きにくいと評されることもあるが 実物は全く違う。「出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれない」を信条としている。 
 
  高校時代の3年間コーラス部に所属し、3年時テノールのパートリーダーを務める。その時の顧問が浅岡節夫氏。尚、中学1年時の担任は中村義朗氏。その影響で、高校時代の1・2年だけでなく、大学受験の3年時にも旧富山市公会堂で第9交響曲を歌うことになる。
 同志社大学では学生混声合唱団CCDにて第41代幹事長(部長を意味する)を務めた。CCDは学生の混声合唱団として最古であり、合唱コンクール参加が隆盛な中、決してコンクールには参加せず、他に迎合することなく自らが求める音楽性をどこまでも追及することを目的として、プロテスタントの大学らしく宗教曲をメインとしており、大阪府民芸術賞を受賞するなどセミプロ合唱団として当時有名で、ステージに乗るためのメンバーセレクションや出席率が厳しく求められる中、団員は200名を超えていた。各パートにはそれぞれプロのボイストレーナーの先生方が付いており、大阪音大や神戸女学院へ練習に通うことも。全体練習が月水木土でパート練習が火金、日中が部室で個人レッスンと春夏の合宿も含めると勉学に勤しむ暇は全くない学生生活を送る。このため出席必須の単位がどうしても取れず1年留年している。当時常任指揮者:榎本利彦(故人)、林達次(故人)
  尚、第41代幹事長を務めた年はCCD40周年の年(87年)で定期演奏会はドイツレクイエム、青獅子の歌、場所は大阪シンフォニーホール、オーケストラは大阪チェンバーオーケストラであった。CCDは定期演奏会を6月と12月の年2回、違う演目で行う。ちなみに前年の12月定演はC-mall、永訣の朝で関西フィルハーモニー管弦楽団であった。

  JC時代、研修に力を入れ、自ら日本JCのトレーナーとして全国、世界を飛び回った。研修トレーナーとして当時、日本に5人しかいない資格を持ち、ボディランゲージ・マインドマッピング・ライフプランニングなどを展開。その時のプレゼンの経験が今に生かされている。
 また ブロック会長時代、元三重県知事・北川正恭氏、構想日本・加藤秀樹氏、森富山市長とパネルディスカッションを行いその模様が全県下CATV網で放映された。インテック中尾会長と当時JC現役であった3人の県議会議員(夏野元志、神田真邦、山本徹)を交えて対談、また就任直後の石井富山県知事(中・高の先輩)と対談を行いその模様を広報誌で全県下に配布するなど 当時から政治的な活動も積極的に行っている。

過去の役職

射水市PTA連絡協議会 会長
(社)射水青年会議所第七代理事長
(社)日本青年会議所富山ブロック協議会第35代会長
富山県PTA連合会 監事
葵会(あおい幼稚園保護者会) 会長
小杉小学校PTA相談役
小杉町総合計画審議会 委員
小杉町特別職報酬等審議会 委員
小杉町有線テレビジョン番組審議会 委員
射水地区広域圏合併協議会 委員
I-CITY構想策定会議 議長
射水市を実現する会 顧問
5市町村合併を求める小杉町民の会 副会長
射水ケーブルネットワーク株式会社放送番組審議委員
富山県福祉サービス第三者評価推進機構委員
富山県新世紀行政改革懇談会 委員
社会福祉法人 富山県社会福祉協議会 評議員
財団法人 富山県共同募金会 理事
(社)富山県善意銀行 理事
ボランティア活動推進富山県民会議 委員
富山県民ボランティア総合支援センター 理事
富山県民歩こう運動推進委員会 副委員長
北陸原子力懇談会 理事
北陸新幹線建設促進富山県民協議会 理事
北陸地方高規道路網整備促進協議会 委員
北方領土返還要求運動富山県民会議 理事
県土美化推進富山県民会議 理事
元気に富山推進会議 委員
富山県青少年問題協議会 委員
富山県薬物乱用「ダメ、ゼッタイ」普及運動実行委員会 委員
財団法人 富山県暴力追放運動推進センター 評議員
財団法人 富山県高等教育振興財団 評議員
財団法人 ひとづくり財団 評議員
財団法人 富山県いきいき長寿財団 評議員
21世紀富山青年機構 理事
財団法人 富山県緑化推進会議 常任委員
財団法人 花と緑の銀行 理事
財団法人 とやま環境財団 評議員
(社)とやま緑化推進機構 理事
財団法人 とやま国際センター 理事
富山ウラジオストク会 理事
富山日米協会 理事

by fumitakashien2005 | 2006-04-01 08:00 | プロフィール