中村ふみたか(文隆)
  
 昭和39年1月1日生まれ 53歳 やぎ座 AB型

家族:娘(大学生)・息子(大学生)・父・母

 資格:調理師 

 経歴
 小杉町立小杉小学校
 富山大学教育学部附属中学校(バスケット部)
 富山県立富山中部高等学校(コーラス部・神通会学年幹事)
 同志社大学法学部法律学科(同志社学生混声合唱団CCD第41代幹事長)
 大和学園京都調理師専門学校夜間部                  
 各卒業
 
 役職
・射水市議会議員 副議長
・射水市商工会 理事
・射水圏政経懇話会 監事
・小杉中学校学校評議員
・射水ロータリークラブ会長エレクト

(元職)
・射水ロータリークラブ2011-2012 幹事
・射水市PTA連絡協議会 第4代会長
・小杉高等学校学校評議員
・富山高等学校むつみ会(PTA)監事
・(社)射水青年会議所第7代理事長
・(社)日本青年会議所富山ブロック協議会第35代会長


 (その他の経歴は後記)

生い立ち: 富山県射水郡小杉町(現:射水市)に生まれた。
  自営の中村楼は創業1824年(文政7年)、富山県内の宿泊を伴わない料亭としては最も古く、
 また店が旧北陸道に面していることもあり 江戸時代から多くの政財界の要人、文化人などが利用してきた。
本人は8代目である。 
地元の小杉小学校を卒業後、富山大学教育学部附属中学校、県立富山中部高校へ進学。
某国立大学受験失敗後の浪人時代に予備校講師から「学者で一流になるには天才であると同時に、1日15時間は机に向かって勉強できなければならない、それも一種の才能だ」と言われ、「自分には学者になるほどの頭も才能もない」と自覚する。
同志社大学法学部法律学科に入学後、司法試験の勉強をするも87年のブラックマンデーを経験し「7代続いた家業を継ぐのはやはり自分しかいない」と在学中に調理師専門学校(夜学:京都大和学園)に通い始め 大学卒業後、調理師免許を取得。京都なかむら・金沢鍔甚(曾祖父もこの店で修行)・氷見永芳閣(新館)で修業後、94年30歳で中村楼の8代目として家に入った。

まちづくり:94年、家業を継ぐとともに(旧)射水青年会議所のチャーターメンバーとして創立に関わり、青年会議所運動を通して、ふる里射水のまちづくりを始める。
 (旧)射水青年会議所は創立以来、射水地域の合併を目指しており、99年射水市構想を発表。中村本人は、JC(青年会議所)以外でも射水広域圏(牧野含む)の青年で組織するI-CITY構想策定会議議長、射水地区広域圏合併協議会委員、射水市を実現する会顧問等を務め、射水市実現に向けて市町村合併運動に深く関わる。尚、JCでは01年に射水JC理事長、04年に(社)日本青年会議所富山ブロック協議会会長(JCの富山県会長)を務めている。
 この1市3町1村の合併については 旧小杉町で塩谷治氏と中村が中心となって法定合併協議会設置のための署名運動を行うが、それらも含め、町を二分して大きな議論となり、合併協議会に参加、不参加をめぐり住民投票(03.2.16)が行われた。その投票に先立ち、小杉町が主催して公開討論会(小杉町住民投票フォーラム:03.2.14)が行われたが、そこで賛成代表の一人として行なった中村の訴えかける演説が 投票直前の人々の心を動かし、実質的に小杉町の合併協議会参加を決めるきっかけとなった。
 また、合併協議会発足後は合併協議会委員として、迷走しがちな合併協議会を度々軌道修正した。途中、小杉町の協議会離脱によって合併協議が休止したが、射水市を実現する会や5市町村合併を求める小杉町民の会の立ち上げに尽力、ビラやホームページなど賛成側の政策立案を担当する。その後の住民運動の盛り上がりから、小杉町長のリコール運動が現実味を帯びるが、中村は「リコールは修復できない大きな溝を住民の間につくってしまう、小杉は二度と立ち直れなくなるだろう。それだけは避けなければならない」と5市町村の首長や議員、住民と折衝を行い、04年7月31日最悪の事態を回避する。
 その後、2004年8月29日に行われた小杉町の5市町村での合併の是非を問う2回目となる住民投票の結果、賛成多数となったため、合併協議は再開され、2005年11月1日に「射水市」が誕生した。尚、中村は再開された合併協議会に小杉町から委員として再任されていない。小杉町の委員(学識経験者3人)だけは総入れ替えとなった。

政界入り:射水市誕生による市長選について、当時3人の現職首長の立候補が取りざたされる中、新しい市長候補として度々名前が挙がるが 中村は「新市・射水市は問題山積であり、それらを解決して軌道に乗るのに10年は掛かる。また、その市政運営には極めて優れた行政手腕を持った即戦力が求められる。私は射水市が素晴らしいまちとして光輝けるよう、側面から支援したい」と固辞。その旨を3首長に伝える。しかし、新市を誕生させるだけさせて、知らぬ存ぜぬという訳にはいかないと、射水市誕生の責任を取った形で射水市議会議員選挙に立候補し、小杉選挙区では最年少で初当選を飾る。市議会議員として「自分たちのまちは自分たちでつくる」という射水市実現のため 数々の政策提案・議会改革を行うも、09年改選の射水市全域が選挙区になった市議会議員選挙にて 当初より当選確実視されながら次点で涙を飲む。その後4年間の充電期間を経て、H25年11月17日投開票の射水市議会議員選挙において復活当選を果たし、現在に至る。
人物像・逸話:
  身長168cm、体重54kg、血液型AB

  趣味:昔は合唱(コーラス)、現在は 下手なゴルフ

  バツ一のため、両親と協力して子供2人を育てている。そのためPTAに積極的に参加し、小杉小学校校外委員長時、自治会、民生委員などの協力を仰ぎ、校下に「こども110番の家」を300ヵ所新設し、子どもたちの安全安心に努力した。そのことがきっかけとなり、次の年、子ども見守り隊「杉っ子愛レンジャー」が誕生することになる。
 また、PTA活動は小学校の活動もあって、小杉中学校でも行うこととなり、その結果 H21年度、射水市PTA連絡協議会会長を務めることとなった。

  旧小杉町時代、99年の土井由三町長が誕生した選挙に際して、青年会議所の有志と公開討論会を企画するが、当時はまだまだ理解が得られず、大きな反対にあい企画は中止に追い込まれた。尚、直前の新湊市長選挙も附属中学時の同級生である江守淳一ら(旧)新湊青年会議所有志によって公開討論会が行われ、これは成功に終わっている。その公開討論会で評判がよく当選したのが 分家静男氏(前射水市長)であり、その討論会のコーディネーターが当時、北日本新聞論説委員の土井由三氏(旧小杉町長)であった。

  合併運動時、「お前の店など潰してやる」などと有力者に面と向かって言われたり、店の予約が突然次々にキャンセルされたり、匿名の嫌がらせ電話を受けるなどした。 また、町長選公開討論会企画時には 突然、見ず知らずの男が店の中にズカズカと上がり込むなど 明らかな嫌がらせを受けている。
 しかしながら 元来の正義感の強さからか、益々闘志を燃やし、それをあえて表に出さず 平然と運動を展開するというタイプ。それが祟って、クールとか取っ付きにくいと評されることもあるが 実物は全く違う。「出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれない」を信条としている。 
 
  高校時代の3年間コーラス部に所属し、3年時テノールのパートリーダーを務める。その時の顧問が浅岡節夫氏。尚、中学1年時の担任は中村義朗氏。その影響で、高校時代の1・2年だけでなく、大学受験の3年時にも旧富山市公会堂で第9交響曲を歌うことになる。
 同志社大学では学生混声合唱団CCDにて第41代幹事長(部長を意味する)を務めた。CCDは学生の混声合唱団として最古であり、合唱コンクール参加が隆盛な中、決してコンクールには参加せず、他に迎合することなく自らが求める音楽性をどこまでも追及することを目的として、プロテスタントの大学らしく宗教曲をメインとしており、大阪府民芸術賞を受賞するなどセミプロ合唱団として当時有名で、ステージに乗るためのメンバーセレクションや出席率が厳しく求められる中、団員は200名を超えていた。各パートにはそれぞれプロのボイストレーナーの先生方が付いており、大阪音大や神戸女学院へ練習に通うことも。全体練習が月水木土でパート練習が火金、日中が部室で個人レッスンと春夏の合宿も含めると勉学に勤しむ暇は全くない学生生活を送る。このため出席必須の単位がどうしても取れず1年留年している。当時常任指揮者:榎本利彦(故人)、林達次(故人)
  尚、第41代幹事長を務めた年はCCD40周年の年(87年)で定期演奏会はドイツレクイエム、青獅子の歌、場所は大阪シンフォニーホール、オーケストラは大阪チェンバーオーケストラであった。CCDは定期演奏会を6月と12月の年2回、違う演目で行う。ちなみに前年の12月定演はC-mall、永訣の朝で関西フィルハーモニー管弦楽団であった。

  JC時代、研修に力を入れ、自ら日本JCのトレーナーとして全国、世界を飛び回った。研修トレーナーとして当時、日本に5人しかいない資格を持ち、ボディランゲージ・マインドマッピング・ライフプランニングなどを展開。その時のプレゼンの経験が今に生かされている。
 また ブロック会長時代、元三重県知事・北川正恭氏、構想日本・加藤秀樹氏、森富山市長とパネルディスカッションを行いその模様が全県下CATV網で放映された。インテック中尾会長と当時JC現役であった3人の県議会議員(夏野元志、神田真邦、山本徹)を交えて対談、また就任直後の石井富山県知事(中・高の先輩)と対談を行いその模様を広報誌で全県下に配布するなど 当時から政治的な活動も積極的に行っている。

過去の役職

射水市PTA連絡協議会 会長
(社)射水青年会議所第七代理事長
(社)日本青年会議所富山ブロック協議会第35代会長
富山県PTA連合会 監事
葵会(あおい幼稚園保護者会) 会長
小杉小学校PTA相談役
小杉町総合計画審議会 委員
小杉町特別職報酬等審議会 委員
小杉町有線テレビジョン番組審議会 委員
射水地区広域圏合併協議会 委員
I-CITY構想策定会議 議長
射水市を実現する会 顧問
5市町村合併を求める小杉町民の会 副会長
射水ケーブルネットワーク株式会社放送番組審議委員
富山県福祉サービス第三者評価推進機構委員
富山県新世紀行政改革懇談会 委員
社会福祉法人 富山県社会福祉協議会 評議員
財団法人 富山県共同募金会 理事
(社)富山県善意銀行 理事
ボランティア活動推進富山県民会議 委員
富山県民ボランティア総合支援センター 理事
富山県民歩こう運動推進委員会 副委員長
北陸原子力懇談会 理事
北陸新幹線建設促進富山県民協議会 理事
北陸地方高規道路網整備促進協議会 委員
北方領土返還要求運動富山県民会議 理事
県土美化推進富山県民会議 理事
元気に富山推進会議 委員
富山県青少年問題協議会 委員
富山県薬物乱用「ダメ、ゼッタイ」普及運動実行委員会 委員
財団法人 富山県暴力追放運動推進センター 評議員
財団法人 富山県高等教育振興財団 評議員
財団法人 ひとづくり財団 評議員
財団法人 富山県いきいき長寿財団 評議員
21世紀富山青年機構 理事
財団法人 富山県緑化推進会議 常任委員
財団法人 花と緑の銀行 理事
財団法人 とやま環境財団 評議員
(社)とやま緑化推進機構 理事
財団法人 とやま国際センター 理事
富山ウラジオストク会 理事
富山日米協会 理事

by fumitakashien2005 | 2006-04-01 08:00 | プロフィール

議員歴

市議会所属委員会
      H17.12~H18.12 総務文教常任委員会・議会運営委員会・港湾観光特別委員会
      H18.12~H19.12 産業建設常任委員会・交通問題特別委員会
      H19.12~H20.12 市民環境常任委員会副委員長
      H20.12~     福祉病院常任委員会・議会運営委員会
      H21.9       決算特別委員会副委員長 

     H25.12~H26.12 産業建設常任委員会副委員長
     H26.12~     産業建設常任委員会委員長・議会運営委員会
by fumitakashien2005 | 2005-07-31 17:28 | プロフィール

ポジティブチェンジを活動スローガンとするd0062371_1733594.jpg
日本JC富山ブロック協議会2004年度会長中村文隆君は平成16年11月、就任早々の
石井知事を今最もポジティブな人としてお迎えし、今後の富山県について話し合った。
環日本海構想や観光振興など、今後の富山県が取り組むべき話題などにも話が及び、
対談は充実したものとなった。

富山県知事 
石井隆一
(いしい たかかず)
1945年富山市生まれ。
1969年自治省(現・総務省)入省
1991年静岡県総務部長
その後、地方分権推進委員会事務
局次長(1995年)、消防庁長官(2002
年)、早稲田大学客員教授(2003年)
と要職を歴任。
2004年、富山県知事選挙に当選。
好きな言葉「一隅を照らす」

中村 本日はお忙しい中、お時間を頂きありがとうございます。
石井知事は私にとって中学・高校の先輩である訳ですが、今日は新知事として富山の未来について語っていただき、今後の青年会議所・若者たちの行動へのヒントにさせて頂ければと思っております。
石井  中村さんは本年度*)の富山県の会長なんですね。      *)2004年
中村 はい、富山ブロック協議会は県下10の青年会議所で構成されています。特に、昨年まで18回、青少年育成事業として「少年の翼」を開催してきました。県内100名ほどの中学生が姉妹都市・オレゴン州のポートランドへ一週間ホームステイや研修を通して現地の人と交流するという事業です。元々は富山県の置県100年を記念して中国・遼寧省へ派遣したのが始まりでした。この事業はJCとしては珍しく県から1千万近い補助を戴いてやっていた事業ですが、もっと今の時代に即した事業がないのか、また富山県が進めている環日本海交流も考えなければいけないのでは、という事で今年は少年の翼事業を休止し、違う形での事業の検討に入っています。今の中学生は普段でも海外に行く機会があり、また、財政改革が叫ばれている中、県民としてJCとして補助金を当てにした事業であってはならないなど、再考の必要な点が多々あります。
石井 JCが中学生の国際交流事業を環日本海時代への対応や行財政改革の角度から見直していくことは大事な姿勢です。環日本海地域・アジアなどは今後も大いに発展が見込まれる地域ですから、こうしたところと幅広く国境を越えて人と人との交流を広めることが重要だと思います。特に若い人達の交流は非常に大切ですね。
中村 その環日本海構想ですが、知事はどういった方向を目指されているのでしょうか。
石井 日本の将来を考えると、これからは環日本海、アジアとの交流が文化面・経済面でも重要になってくると見込まれます。富山県としては、そのパイオニア・ゲートウェイ的な役割を担っていかなければいけません。富山県の日本の中におけるポジションを高め、より重要なものにしていくためには、そういうアクティブな姿勢が大事です。北陸新幹線により首都圏との結び付きが強まり、東海北陸自動車道により岐阜・愛知県との関係も深まります。また安房峠を越えて長野とのアクセスもでき、富山県の地理的優位性、ポテンシャルが今後ますます高まるのでは、と思っています。
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中村 「環日本海のゲートウエイ」ですね。その北陸新幹線に関してですが、将来の富山県の経済を考えたときに新幹線が通ることが果たしてどうなのかということです。長野のように新幹線は通ったけれども主要なものを東京に吸い取られてしまった、という例もありますし、逆を言えば富山県がそうならないようにこの10年程で体制を整えていく必要があると考えます。また県が唱える環日本海構想というのは、富山だけではなく、隣の石川や新潟、福井などと連携してこそ効果が高まるのではないかと思います。
石井 そうですね、北陸新幹線が開業し、便利になったね、というだけではいけないと思います。ただ新幹線の早期開業を目指すのみでなく、これとあわせて各市町村と連携しながら富山の魅力づくりを積極的に進めていく必要があります。これは特に新幹線が開業するまでに是非実現しなければなりません。幸い富山市の森市長さんや高岡市の橘市長さんがそれぞれ魅力ある都市づくりに取り組んでおられますし、中村さんの地元、射水地域も合併、広域都市づくりを目指して努力されておられます。こうした市町村の取り組みにも大いに期待しています。
中村 その魅力ある富山県ですが、例えば観光の問題にしても富山は富山、高岡は高岡、氷見は氷見という風にうまく絡み合っていないために、泊まりは金沢で、富山では観光地をさっと観ていかれるだけです。それを誰がどうコーディネートしていけばよいのか。その役割は民なのか官なのかということですが。
d0062371_1753314.jpg石井 富山の観光振興は、本来的には民間に担っていただくべきものですが、当面県も一緒になって知恵を出し、民間と行政が連携してやっていかないとうまくいかないと思います。また石川県や福井県との関係では、連携することもあり、競い合うことも必要になってきます。北陸全体で魅力を高めていくことが重要です。泊まりは金沢というケースもあってよいが、昼間は金沢や能登で観光するが、泊まりは富山や立山山麓でというケースも大いに創り出していく必要があります。そのため県内の狭い意味での観光業の方々が努力することはもとより、幅広い民間の皆さんが、さらには行政も知恵を出し、コーディネート役をやることも状況によっては必要となってくると思います。富山県人は「謙譲の美徳」を備えた人が多いが、それがPRべたにつながっている面もある。時には富山の良さをもっとアピールして、富山にはこんな素晴らしい自然・景観がある、産品がある、こんな美味しいものがあると多くの人にわかってもらうことが必要です。そのためには県民の皆さんにもっとアピールする努力やもてなしのマインドを持っていただくことが望ましい。また、ものづくりの優れた伝統、最先端の技術を生かした産業が存在していることについても、もっとアピールしてよいのではないか。また新幹線の新駅周辺の再開発、中心商店街の活性化にも力を入れるなど、県内の諸都市の新しい魅力づくりを積極的に進める必要があります。
d0062371_1762196.jpg中村 石川・福井などとの広域連携ですが、東北では道州制を睨んだ形で官の交流が進んでいますが、そういった意味で他県との官の交流を知事はどう考えていらっしゃいますか。
石井 もちろん、北陸三県相互の広域連携、交流はやるべきだし、一緒に将来のビジョンを語りあったり、協力し合うことは必要です。それに加えこれからは東海北陸自動車の開通、さらに中部国際空港の開業ということもあり、愛知や岐阜との連携も大切だと思います。北陸新幹線により首都圏や新潟・長野との交流も一層深まり、安房峠を越えての松本・山梨との連携などもあります。北陸三県に限らず、「日本の真ん中」に位置するとも言い得る富山県の地理的優位性を生かし、いろんな地方・圏域と交流をした方がいいですね。また、富山を訪ねてきた人に対しては、先ほど申し上げたように「富山の良さをアピールする意欲を持っていただきたい」と思います。
中村 ところで、知事は自治省(現総務省)時代、清水と静岡の合併に関われたとの事ですが、その時の青年会議所の印象はどうでしたでしょうか。
石井 私が静岡県の総務部長をしていた頃、特に清水JCの皆さんとよくお話をさせていただきました。JCの皆さんは静岡と清水の合併問題に関して熱心に議論されていました。私が静岡県で未来塾を主宰していたこともあり、また、かつて勤務した北九州市の経験を踏まえ、5市合併による成果などについてもJCをはじめ静清地区の皆さんにお話することが何度かありました。住民による直接請求を行うなど、清水JCの努力もあり、清水市や静岡市の市長や市議会、経済界の皆さんも小異を捨て一緒になって合併についての市民の皆さんの意見をまとめて行かれました。その後、静岡市と清水市の合併に向けての第1回目の法定協議会に、当時自治省の財政担当審議官であった私はお招きいただいて記念講演をする機会をいただきました。その講演録を冊子にして市民の皆さんにも随分多く配布したという話も後日お聞きしました。何か静岡や清水の行政当局はもとより、JCや経済界の方々とのご縁を感じた次第です。
中村 JCはまちづくりを通して、「自分たちのまちは自分たちでつくる」ということを実践している団体ですから、市町村合併にも力を尽くしています。将来の道州制という話も、積極的な変化を創り出す青年の団体として率先して行動していくつもりです。
 最後になりましたが、最近言われる若者の政治離れ、年金未納、未就労問題。丁度その世代が青年会議所のメンバーの世代に重なる訳ですが、知事から青年会議所に対して一言頂ければと思います。d0062371_1765245.jpg
石井 青年会議所の世代は一般的にしがらみがない世代であり、そして時代の変化に敏感で、改革のマインドが活発だと思います。そういう青年のよさを大いに発揮していただきたい。大きな時代の変化に対応していくには、変化に応じ勇気を持って新しいチャレンジをしていくことが必要ですね。その意味でも私は青年会議所の皆さんに大いに期待していますし時代もそれを求めているように思います。中村さんをはじめJCの皆さん、「元気とやま」の創造に向けて、行政との協働の精神でともにがんばっていただきたいと思います。
中村 今まで同様これからも県との協働はもちろん、市町村行政やNPO等の各種団体、地域住民のみなさんと協働でいろんなことに取り組んで「元気とやま」を築いて行きたい、富山県を盛り上げて行きたいと思います。本日はどうもありがとうございました。 H16.11月 取材協力 富山県

(社)日本青年会議所富山ブロック協議会 2004年度広報誌OASISより抜粋  
by fumitakashien2005 | 2005-07-30 08:30 | プロフィール

保守的風土・富山に挑戦する気概を! 今、富山の政治と経済は、どうなっているのだろうか。
どう変化しようとし、又青年に何を求めているのだろうか。 
平成16年10月、富山ブロック協議会2004年度会長・中村文隆君、青年会議所JC現役メンバーでもある富山県議会議員・神田正邦氏、夏野元志氏、山本徹氏、そして㈱インテック取締役社長・中尾哲雄氏に集まっていただき、富山の現状そして未来への思いを熱く語っていただいた。

*参加者*
㈱インテック取締役社長 中尾哲雄
富山ブロック協議会 2004年度会長 中村文隆
富山県議会議員 神田真邦・山本 徹・夏野元志

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保守の風土、富山
中尾 富山は自然にも恵まれていますし、教育のレベルも高い。また、日本海側では経済活動も一番活発です。薬などの伝統的な産業に加え、アルミ関連、機械工業、化学等も元気がよく、バイオ、IT関連の企業も育ちつつあります。対岸との交流も盛んで、とてもバランスがとれた地域だと思っています。
もうひとつ、地方、富山の豊かさは「時間」だと思いますね。東京では通勤をはじめ移動に時間を要します。富山に住む人は東京に比べて一日一時間多く、25時間生きているのではないかと思うのです。ゆったりとした時間の豊かさ、それが人々の心の豊かさにつながっていますね。しかし、この時間をどのように使うか、自己啓発に、あるいはボランティア活動に。学ぶという点でこんないい環境はありませんね。富山は住み易さ日本一、なんでも日本一をいい過ぎるのではないでしょうか。住み易さを他県と比べて順序をつけるのはナンセンスだと思っています。われわれの富山の住み易さをどのようにレベルを上げていくかを考えるべきで、比較すべきものではありません。みんなが富山を No.1と思っていると県民はみんなこれで満足してると思ってしまう。保守的になってしまうと思うんです。現にそうなっている面があります。経済も比較的安定している、住環境もいいとなると、新しいものに挑戦していく風潮がなくなっていく。ベンチャービジネスに対する挑戦の風潮が他地域と比べてないのではないかと心配しているんですよ。安定していると保守的になる、新しいものへ挑戦しない。安定や豊かさの中には危機が孕んでいると時折不安になりますね。みなさんの自民党も保守党なんていってたらだめだな。自民党だって革新的じゃないですか。何を改革すべきか、しちゃいけないか、ちょっとごっちゃになっていて心配な面もありますが、とにかく自身を保守党なんて呼ぶのはやめたらいいね。
 話はそれましたが、とにかく「保守的な風潮」は危険だね。このような状況の中で新幹線が来ても、富山の経済力は東京へ吸いとられてしまう。ストロー現象ですよ。新幹線のもたらす「プラス」よりも「マイナス」が大きくなって格差拡大になっては元も子もない。いまからこの保守性を打破していく姿勢が必要でしょう。われわれももっとがんばりますから、若いJC、若い議員のみなさんに期待したいですね。
神田 政治にも保守的な部分があり、それはやはり反省しなければならないと思います。 政治の世界に入る前は、まちづくりに対し理想論を話していましたが、政治の世界に入ると現実をしっかりと見据えながら提言を聞かなければならなくなりました。今青年会議所の皆に話しているのは現実と整合性を持てるような取り組みをするよう求めています。それは私が今まで理想の形の中で活動してきた反省点として言わせていただいています。それがまちづくりにもつながっている、と思います。理想を現実に変えるには、政治に参画していかなければならないので、政治を動かすほど、ではないが認知されるほどの活動が必要だと考えています。
欠けているのは勇気
中村会長の、小杉町の合併問題を含め直接若者の手でまちをつくりあげていった経緯について
中村 確かに私達青年は理想をどうしても追求してしまおうとし、現実と乖離してしまうことがあります。ただ、声を上げなければ何も変わらない、と思います。声を上げて前に突き進すむ、またその変わるきっかけを創り出すのも我々青年にしかできない役割ではないか、と思っています。
 行動して初めてわかることは実際に行動することによって乖離している部分をどう埋めて、自分たちの理想に近いものに如何に近づけていくか、という努力が必要になってくるということです。最近のJCには英知も情熱もあるが、今ひとつ欠けているのはそういった時のあらゆるリスクを恐れない勇気ではないか、と思います。私はよく言うのですが「出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれない」ということです。 今回の合併に関しても、必ず誰かがやらなければなりません。まちづくりに必要なものとして、よそ者、若者、ばか者の3つが言われますが、若者の集まりである青年会議所が 恐れることなく自ら動かないと始まらないという思いがあります。
青年と政治
どうしたら若者が政治に関心を持っようになるでしょうか
中尾 若者の政治離れ。昔もそうだったんでは。いつの時代も一緒ですが、とくに今はひどいのかな。学校、家庭、社会で、みんな全体より「個」が大事だという教育をやってきたことも原因だと思います。働く気のないフリーターとやらが500万人もいる、政治に関心をもつはずがありません。自分たちの国、地域をどうするかということに大人ももっと真剣になってほしい。仕方がないとあきらめている訳にはいかない。まずJCがもっと「政治」を活動のテーマに取り上げてはどうでしょうか。JCからこんな立派な議員が何人も出ていること、これはすばらしいですね。
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中村 青年会議所は以前と違い、教育基本法改正・公職選挙法改正・地位協定見直しなどの政府への提言や公開討論会の実施・マニフェスト普及運動など、政治に積極的に関わるように変わって来ています。20代から40代までは一番政治に関心のない世代といわれています。丁度その世代に当てはまる私達青年会議所が、選挙や政治に対する同世代の若者の関心を高め、自ら積極的に変化を創りだしていく必要があります。
山本君は高岡市長選でフォーラムを実施し、地域住民に政治への関心を高めてもらっています。政治の世界に若者を取り入れたことについて一言
山本 市長選の公開討論会について、候補者の不安や不満をクリアにしなければなりませんでした。これまでは個人演説会という形で候補者が話すことを有権者はただ聞いているというスタイルでしたが、これからはそうではなく「この問題だったらどう考える」といった生の声を候補者から聞くことで、政策の違いもはっきりするし、受け答えや身のこなしなどでも人柄がわかると思います。そういう意味でこのスタイルが定着すべきです。
情報の共有に向け
夏野 今自分たちが思うことは活動を通じて政治というものに関心を持っていただきたい、ということです。その一方で県民の皆さんがどんな風に政治に関心を持って頂けるか、ということになりますと、最近思うのはやはり県では情報の公開というものをいかにして住民と共有をしていくか、ということです。それによって、県でこういう施策をや条例をやっていますということがどういう背景でこうなっているのかを県民の皆さんに把握して頂けると思います。また行政として出来ない部分というのはこれからも間違いなく出てくると思われますが、「では自分たちで何かできることがあるのではないか」という考え方に、県民の皆さんが変えて頂けないかと思います。つまり情報を共有していくことがこれからの大きな課題だと思っています。
中尾 まったくそのとおりですね。「何かをしてくれる」のもとで若い人は育ってしまった。自分が国や地域のために何ができるかを問う姿勢、そこに政治への関心が生まれてくる。私は富山県のHP(ホームページ)をよく見ますが、なかなかよくできていますね。しかし、情報の共有というのはちょっと違うのではと思います。知らせる、告知する、これも結果として情報の共有になりますが、共有の意味するところは双方がその情報を利用し、生かしていくということです。県のHPに、ときには各々の情報についての県民の意見が出ているというのもいいですね。議員の方々も支持者にいろいろな形で情報を提供していますが、「選挙をよろしく」ばかりでなく、日頃からの報告会、勉強会をもっと少人数でもやってほしいな。政治は汚いものというイメージを払拭して楽しいものに変えるのは若い議員さんの役目でもありますね。
中村 情報公開に関しては各自治体で色々公開はしているんですが、知りたい人がインターネットで検索するというレベルのものがほとんどで、青年会議所や他の団体が住民にわかりやすく伝えることをしていかなければならないと思います。つまり情報公開ではなく情報提供ですね。そういう窓口になるのも青年会議所の役割なのではないかと思います。
富山の経済と環日本海構想
中尾 物価も賃金も資産価格も凍りつくデフレ、歳出の半分ぐらいしか税収でまかなえない財政、そんな中でわが国の景気が回復しはじめたのは中国、韓国、台湾など地域を越えてひとつの共通経済基盤ができてきて、そこへの投資、経済交流がいい結果をもたらしはじめたと見るべきでしょう。 富山県でも環日本海構想がはやくから提唱されていますが、そのためにまず近隣諸県ともっと仲良くして、対岸諸国を含めた日本海経済圏を形成していく必要がありますね。環日本海構想を東京の調査機関に丸投げしていてはだめ。行政も企業も地域の調査機関、大学みんな力を合わせていく必要があります。人々の交流を盛んにし、富山でも多くの若い人に中国語や韓国語を学んでほしいと思います。いまは日本語を教えることに力が入っていますが…。国際化よりまず県際化・市際化を私は早くから〝県際化〞ということをいってきました。人々が増えない地方は人々の交流によって活性化をはかっていく必要があります。人々が交流すれば企業と企業が業際化をすすめていく、各々のもっている技術を組み合せて新しいものを創り出す業際化。そして、道州制にならなくても実質的(ヴァーチャル)な道州制をつくっていけばいい。行政としての県の組織はそのままでも、何県かが合併したかのように、できるところを一緒にやっていく、それによる合理化をはかるvirtual道州制ですよ。これは県と市町村、市町村同士でも成り立つはず。発想の転換が必要になりますが。議員さんたちが反対して合併ができないのであれば、提携して実質的な合併効果を少しでも求めていくことは可能だと思います。国際化と同時に、県際化、市際化、町際化、そして業際化を進めていこうではありませんか。
近隣諸県と対岸諸国をひとつの経済プレート(基盤)にのせて、これまで東京の経済にいつも強く影響を受けてきた北陸経済を新しく展開していかなければ富山の経済に明日はないと思います。JCに期待するところ大であり、一緒にやっていきましょう。
中村 環日本海交流に関しては富山ブロックとしても、県と協力して一緒に進めていかなければならないと思いますし、昨年まで18回続いていました「少年の翼」に関しましても、オレゴンはやめまして、環日本海ということでそちらの方面の事業に変えるべきなのではないか、と考えています。今回の市町村合併により、権限委譲に伴ってこれからは地方分権が益々進みますので、『自分たちのまちは自分たちで創る』という基本的な姿勢が大切になってきます。そうなると住民も必然的に政治に無関心ではいられないという状況になってくるのではないかと思います。また、都道府県の役割もスリム化されますから、次は道州制へと進むことになってきます。その中で県を越えた枠組みのネットワークを構築していくことは、あくまで官主導ではなく、民主導でなければ遅々として進まないでしょう。今のパラダイムシフトのスピードに素早く対応できるのは、やはり民だからこそだと思いますし、実際 経済界の交流はとっくに市際化、県際化、国際化しています。その民の力をうまく活用して、縄張り意識の強い行政枠を打ち破っていくことがこれからの課題だと思います。さらに、地域住民とNPO、行政などの橋渡しをすると共に、自らも積極的な変化を創り出していくことが我々青年会議所のこれからの役目でしょう。頑張りたいと思います。

ゲストの皆さん今後ともご意見をよろしくお願いします。本日はありがとうございました。
取材協力 ㈱インテック
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(社)日本青年会議所富山ブロック協議会 2004年度広報誌OASISより抜粋
by fumitakashien2005 | 2005-07-30 07:00 | プロフィール